水槽

やっぱりわたしはひとのことを好きになるのが下手なんだとおもう。

 

 

前回書いた11月から、共テを受け、一般を受け、高校を卒業し、すきな人のライブに行き、大学に入学した。大学受験は自分的には満足だったけど、周りと比べると劣っていて悲しい。高校時代の友だちはみんな良い子だったけど、恥ずかしいから早めに縁を切りたい。

 

 

正直に言うと、すきな人が変わった。

わたしは18年しか生きていないのにこの人生で何度も″推し変″をしている人間なので、別に特筆すべきでもないけれど。

受験期はずっと忙しくて、気が立っていたような気がする。そんな中ですきな人のインタビューが公開されて、いつも言っているようなジョークにやけに腹が立って、本当に嫌な気持ちになった。

その頃好きでよく見ている配信者と新しく仲良くなった配信者がいて、その人おもしろいなー、とか思っていたので、まんまとそっちに足をとられてしまった。

正直、ずっとアイドルのオタクはわたしには合わないなあと思っていた。元々配信者とか歌い手とかそういうインターネットの男が好きだったから、すきな人も限りなくインターネットには近かったけれど、やっぱり周りのファンとか、応援の仕方とか、そういうのにあまり馴染めないでいた。

そんな時に久しぶりにめっちゃすきな感じの配信者が現れたんだからそりゃ、そっちのオタクになっちゃうよねー。とか。

受験の日の朝もその人の配信を聞いたりしていた。昼休憩にその人の友だちの配信を見たりもした。この人のせいで受からなかった大学もある、たぶん。そのくらい真剣に追った。過去のアーカイブや切り抜きもたくさん見た。

 

そんな中で、3月14日、2023年5月23日ぶりにすきな人を生で見た。すきな配信者にメロメロしていた時だったから、本当にモチベもクソもなくて、直前までプロセカとかやっていた。撮影可のライブだったので、できるだけ綺麗に残しておきたくてOPを真剣に撮っていた。OPのカウントダウンが終わると、いちばんにすきな人たちが出てきた。その瞬間今までのすべてがどうでもよくなって、スマホを捨てて、ペンライトを振ることに真剣になった。そのうちひさしぶりに見たすきな人たちがあんまりにもかっこいいから、だんだん泣けてきて、ひとりで声をあげて泣いた。普通に隣の人に顔を覗き込まれた。ひさしぶりに見たすきな人たちは、東京ドームがよく似合うアイドルになっていた。本当にうれしかった。だいすきだった。だった。もう昔の熱量は戻ってこない。

 

すきな配信者は、すきな人と誕生日が10日しか変わらない。年も一緒。好きなVtuberも一緒。でも性格は全然違う。

すきな配信者は、目立ちたがり屋だけど自分に自信がなくて、涙もろくて、自己犠牲のきらいがあって、でも、本当に優しくて、本当に面白い人だ。面白いところが好き。配信者はそのくらいで良い。どこが好きとか、あんまり文章にすると、また神格化しちゃいそうで嫌だから。

 

この前すきな配信者が出るイベントに行った。なんか最後に泣いちゃってて面白かった。本当にかわいい人だよ。あんなに不器用で不慣れなイベントなんて初めてで、演者全員とろくに目が合わなかったけど、だからこそ、飾らないきもちが直に伝わってきたような気がする。シンプルに楽しかった。また会いたい。会えると良いな。

 

 

実は最近はあんまり病んでないというか、たぶん躁な気がする。めちゃくちゃ元気、故に、全然良い文章が書けない。文豪たちがそれなりにメンヘラエピソードが多い理由もわかる気がする。元気な時は文章を書く気にならない。この文章もろくに考えずにそのまま書いているから、たぶんクソしょーもない。べつに備忘録だから良いけど。

 

 

 

金曜日

11月8日、本日、好きなアイドルの初めてのCDが発売される。

 

わたしの好きなひとたちがつくった音楽が、手元にモノとして残る。記憶、データという無形のものから、実体を持って存在するようになる。

よかった。これでもう忘れずに済むよ。

 

5月23日の記憶が薄れてきている。それは、ここ最近の情報量の多さからかもしれないし、鬱のせいかもしれないし、ただ単に忘れているだけかもしれない。忘却曲線みたいなのあるよね。5月23日のあの一瞬は、復習なんてしようもない。忘却曲線が曲がっていくまま、身を任せて全てを忘れていくだけだ。砂に書いた文字が波に攫われるように、少しずつ、少しずつ。

データも消えれば終わりだ。それは、5月25日の24時に痛いほど感じた。8ページにも渡った今までの動画の記録が、一瞬で全て消えた。インターネットはどこまでいっても仮想世界で、現実なんかじゃない。都合の良いことも悪いことも、全て上書きされて消えていく。消されていく。インターネットの良さも悪さもそこにある。きっとこの文章も、誰の記憶にも残らないまま、なくなる。

 

手元にモノとして彼らの記録を残しておけるのが、本当にうれしいなと思う。

彼らの頑張りが、彼らの汗や血や涙が、塊となって形作られたような気分だ。これもひとつのセーブポイントだと思う。ひとつの″報い″というか。

彼らに本当に幸せになってほしいと思っている。

今までの努力の100分の1くらいは見れているだろうか。わからないけど、きっと想像もできないような努力のもとに彼らのパフォーマンスは成り立っている。だからこそ、わたしは彼らのパフォーマンスが好きだ。パフォーマンスをしている7人が1番輝いている。なによりも。

配信デビュー、単独YouTubeチャンネル、外部ライブ出演、そしてCD発売。これからも、こうやってひとつずつ報われていってほしい。全てが正当に報われることのない芸能界で生きている彼らの全てが報われますように。

 

わたしの棺桶にはCDを入れて欲しいけど、CDって焼けるのかな。あのきれいなマゼンタピンクのCDのジャケットが似合うような顔でありたい。

 

 

こどもじゃないもん、17

18歳になった。

12時ぴったりにお祝いしてくれたのは、好きなグループのFC動画だけだった。

 

 

最近は、意外と楽しく生きている。

誕生日に自分用にデパコスを買った。冬が近いので冬服を買った。YouTubeも面白いし、漫画も読める。楽しい。外に出ることも楽しい。ずっと歩いている。ひとりで延々と道を歩くのが好き。

 

高校3年間がもうすぐ終わる。わたしは中高一貫に通っているから、中2の時に転校してきた今の学校には、5年通っていることになる。でも5年間の思い出はほとんどない。まともに人間関係も作れず、中1の時に友だちができなかったのは自分のせいだったんだ、と嫌でも理解させられた5年間だった。卒業には何の感慨もない。

 

何のためにこんなに生き延びているのか全くわからなくなってしまった。苦しい日々をなんとか乗り越えてごまかして生きてきたのに、こんな風に全部無駄に感じるなら、これから先だってそうなんじゃないかって思う。苦しい日々を乗り越えるための労力に、見合った人生が返ってこない。鬱でしにたくてもなんとか生きよう、て思うけど、別に誰も生きてくれなんて頼んでないか、と気づいた最近。最近まで気づかなかった。誰かしら頼んでくれてると思ってたけど、誰も誕生日なんか覚えててくれてなかったし、そんなもんか。

 

しばゆーとあやなんのヒスり散らかしツイートで昔の傷を抉るのが楽しい。瘡蓋を剥がしている気持ち。もうしんだらいいよね。そうだよね。全部いやだ。苦しいからやめなー。

 

もういいよ

どうもありがとうございました

ねついじょー

ずっと更新を楽しみにしていた漫画を読んだら、主人公が幸せになっていて、めちゃくちゃな希死念慮が襲ってきた。

 

またしんどい時期がやってきた。

痛いし苦しい。病気なのかも。息が上手く吸えないし。頭が全然回らなくて、仲良い友達の名前すら思い出せないことがある。好きなアイドルの曲もメッセージ性が強すぎて聞けない。ひかりものは時に傷つく原因にもなる。ガラスの破片とかもそう。

わたしの全ての感情の根底には死にたい、が常にあるような気がする。ライブに行って良い席でめちゃくちゃファンサをもらって幸せになったとしても、「うわー最高だった!今死にたい!」になる。1回母親と母親の友達とライブに行った時にそれを言ったら、後々すごく怒られた。人前でそんなこと言うなって。わたしが死にたいと思ってることに対してはノータッチ、これは小5のときの話。

最近特に希死念慮が強くて毎日困っている。受験、というわかりやすい障害が近づいてきたからかもしれないし、ただ単に季節の変わり目だからかもしれない。いつもから割と死にたいタイプだけど、週4くらいで死にたがっていてあと3日は普通に眠れる、くらいだったのが週9くらいになった。本当に死ぬことを考えたりもする。電車には飛び込まないようにがんばっている。お金がかかってしまうからやめようね。人にも迷惑かけるし。でも結局、自殺って全部人に迷惑かけるから、しない方がいいよね、となって、やめる。そういう理由をつけては生き延びている。結局死ぬ勇気がないだけです。

 

わたしは家族に愛されている。今は良い暮らしをしている方だと思うし、恵まれているなと日々感じる。でも、ずっとわたしという人間を愛してもらっている、という感覚がない。わたしという孫、わたしという娘、を愛しているんだと思う。例えば、わたしの大学受験は家族の誰にも応援されていない。まあそうしたいなら金は出すけど、というスタンス。実家に帰省するたび、なんで大学受験なんかするの?地元帰ってきなさい、大学どうしても行きたいなら地元の大学行きなさい、毎日送り迎えするよ?お金も浮くね。私が寂しいから帰ってきてよ。と言われる。わたしの将来のことなんか何にも考えていない。わたしはひとりっ子だし、母子家庭だし、親戚も全然いなくて、将来頼れるような人が思いつかない。その上結婚なんか絶対にしたくない、だからひとりでも生きていけるように、今からいろいろ考えているのに。無駄にある土地とかどうするんですか。死ぬ前に全部処分してね、わたしはもう2度と地元に帰る気はないから。

欲しいものを言うと、「あんたにこれは似合わない」「これは好きじゃない」と母親や祖母の価値観でジャッジされる。2人のお眼鏡にかなうものでないと、買ってもらえない。どれだけ好きなものでも。小さい時は服だけでなく髪型まで好きな髪型にさせてもらえなかった。七五三もほんとうはスタジオアリスで袴とかドレスとか着て写真撮って欲しかったのに、イオンのワンピースで神社行って終わりだった。母親と祖母がそういう記念写真に全くの意義を感じないタイプだから。

今はお金をもらって自分で使うような形になったから自由にしている。小さい頃買ってもらえなかったシルバニアファミリーをたくさん買っている。髪の毛も幼少期の反動でロングにしている。ロングの方がかわいいよ、って友達が褒めてくれる。よかった。

言葉にしようとするとぱっと出てこないけど、そういう小さな思い出がずっと心に生傷を作っていて、死ぬ理由になっている。なんかもうつらい。つらい本当に。はやく死にたい。終わりにしてほしい。こうやって言葉にするのもめんどくさくなってきた。死にたい、ただそれだけ、それだけなんです、母親にも死ねって言われたことあるし、死んだ方がいいんだろうな、早くしのう

 

 

 

キャンドルタワー

大好きだったひいばあちゃんが急に死んだ。

急と言っても、数年前から病気で入院したり、施設に入ったりを繰り返していて、わたし自身5年くらい会っていなかった。

 

久しぶりに見たひいばあちゃんは死体だった。

 

前日夜に施設から祖母に電話がかかってきて、「あまり様子が良くないのですが、特に目立った症状はありません。どうしますか」と言われ、結局次の日の朝救急車を呼ぼうという話だった。

朝の5時半、ひいばあちゃんは死んだ。

 

悲しかった。大好きだったから。

わたしは小さい時から母親とも祖母とも上手くいかなかった。意見が合わないのに、わたしが2人の言いなりにならなければ、思い通りに動かなければ、ご飯は与えられなかった、風呂の栓を抜かれた、出て行け、お前はうちの子じゃないと怒鳴られた。別にこの程度どの家にもあるとは思うけど、当時のわたしからしたらどこに逃げていいかもわからなかった。

そんな時、近くにひとりで住んでいたひいばあちゃんの家に逃げては、泣きながら話を聞いてもらって、ひいばあちゃんのぶよぶよのおっぱいに包まれて、2人で作ったきなこもちを食べた。冬は謎のストーブの上で焼いた焼き芋も食べた。ひいばあちゃんの家が新しくなった時は泊まりに行った。ダイニングテーブルから朝日が差し込んで、きれいだった。ひいばあちゃんのごはんは美味しかった。

わたしが中学生になって本格的に精神を病んだと同時に、ひいばあちゃんもうつ病になった。膝が悪くなって、趣味だった園芸も水泳も上手く出来なくなって、人とも会えなくなったのが辛かったらしい。

その頃にはわたしは実家を出ていたから、なんにも知らなかった。祖母から口酸っぱく「あんたはうつ病なんかにならないでね」と言われていたが、その時には既に腕も内臓もズタボロのメンヘラだったので、何言ってんだこいつは、と思っていた。ひいばあちゃんは睡眠薬ODをしたらしい。わたしはブロンODをしていた。その時期に電話越しに聞いた「ばあちゃん、もう死ぬかもしれんわ」というひいばあちゃんの弱々しい声が未だに脳裏にこびりついている。わたしはひいばあちゃんには何もできなかった。

 

ひいばあちゃんはかわいそうなひとだった。

葬式の時、スライドショーでひいばあちゃんが笑顔の写真が写っていた。葬式が終わってから、祖母に「あの写真、切り取ってもらったけど、下にはあんたがおったんよ。」と言われた。家に帰って写真を見ると、満面の笑みのひいばあちゃんの前に、4歳くらいのわたしが笑顔で写っていた。人に恵まれなかったひいばあちゃんが、せめてわたしが一緒にいた時くらいは、笑顔でいてくれたからよかったと思った。わたしが実家に残っていたら、なにか未来が変わっていたのかも。でももう死んだからどうしようもないです。

 

葬式のあとに、わたしの好きなグループのYouTubeを見た。メンバーがそれぞれ手紙を書いて、読んで、みんなで泣いて、最後は抱きしめ合っていた。こんな日じゃなかったらわたしだって泣いていた。でも今は嫉妬でどうにかなりそうだった。わたしは、今日、人前で泣くのをこんなに我慢していたのに。みんながひいばあちゃんが死んでほっとした顔をしている。病院代や施設代がかからなくなってよかったという顔。わたしはこんなに好きだったのに。でももう母親や祖母には自分の気持ちを開示できるほどの信用はない。だからひとりでひっそり泣いたのに、いい大人が、こんなにも信用できる人間がいて、よかったよね、生きるの楽でしょ?顔が良くて、友だちにも恵まれて、この歳でも夢を諦めず追いかけることを応援してくれる人がいて、まっすぐ育って、よかったね?本当に羨ましい。わたしにもひいばあちゃんにもそんなのひとつもなかったのに。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。

 

ひいばあちゃんの死体を見るのは怖かった。でも灰になったひいばあちゃんを見てもなんとも思わなかった。わたしもはやく灰になりたい。死体なんて残らなければいいのに。

 

 

エピローグ

わたしの大好きな人が帰ってきた、7月14日。

少しだけ名前を変えて、でもそのままの彼らがわたしの目の前に帰ってきてくれた日。

 

わたしの大好きな人はきらきら輝いていました。今日も。明日も。明後日も。わたしが見ていない時だってきっとずっと輝いてる。

別にわたしの好きな人が特別何かをしてる訳でもないし、わたしはそれを求めてる訳でもない。ただただ、馬鹿みたいに、少女漫画みたいなきらきらの幻覚が好きな人の周りに見えている、わたしの頭がおかしいだけ。

好きな人のことが本当に好きなのかだんだんとわからなくなっていた2ヶ月。やっぱり好きな人のことは世界でいちばん大好きだった。好きな人が笑っていてうれしい。大きなえくぼがこれ以上ないほどかわいい。愛おしい。彼のことが本当に大好き。

 

 

なのにそこからほとんど公式SNSが動くことはなく、おそらく7月14日に撮影されたであろう数十秒の動画が更新されるばかりの1ヶ月。

仕方ないこととはわかっていても、諸々合わせると半年以上、まともに彼らに接していなかったなあと感じる。雑誌の文字では、お通夜みたいなブログでは、やっぱりたりないものはあった。言わなかったけど。いい子で待ってたかったし。

数十秒の動画をパラパラ漫画みたいにスクショして、1枚1枚ここが好きなんだ、と確認する作業をしていた。

そして、8月11日、12時。

Twitter(X)廃人のわたしはその日も何の意味もないタイムラインを更新していた。真っピンクの何かが目に飛び込んでくる。なんだって?

なんか曲が出るらしい。やったー!

世界デビューとか正直割とどうでも良かった。わたしが大好きな愛してやまない彼らの音楽が、ダンスが、パフォーマンスが見られることが何よりも嬉しかった。ティックトッカーなんてやめてくれ。アーティストでありアイドルな彼らのことが大好きだ、大好きな人の歌って踊ってるところが世界でいちばん大好き。

8月18日まで1週間、待ちきれないほど嬉しかった。

 

8月14日。彼らが本格的にYouTube動画配信をスタートさせるとお知らせされた。急すぎる。そうか。

前事務所の時から喉から手やら足やら内臓やらが出そうなくらい待ち望んでいた、彼らの長尺動画。しかも第1回はドライブ回。まあわたしの好きな人は無免なので関係なかった。

 

8月16日。それはそれはもう楽しくYouTubeを見た。ひさしぶりに彼ららしい顔を見られたな、という気持ちになった。今までも所属発表の際やFC動画など見るタイミングはあったけど。でもやっぱりそのままの彼らがいちばん愛おしい。7人のことが大好きだ。

 

8月17日。彼らのインスタライブを見た。

「もうすぐ夢が叶う瞬間だ」、といつものようにリーダーが叫ぶと、メンバー全員が盛り上がった。全然実感なんかなかったのに、ボロボロとひとりで泣いた。好きな人たちの夢が叶う、好きな人たちが幸せになる、なんてうれしいことなんだろう。自分の夢なんかひとつも叶っていないのに、勝手に便乗して喜んでみた。涙の味はちょっとだけ甘かった。

 

8月18日。12時ぴったりにMVを再生した。

2分のカウントダウン、通称″親″。この呼び方はVtuber界隈だけなんだろうか。わたしの好きな人も知っているだろうか。別にどっちでもいいけど。親がいつも以上に長く感じた。親はいつだって長い。

あまりにもかっこよくて言葉を失った。本当にこれがわたしの大好きな7人だったのか。わたしは全然7人のことを知らなかったのかもしれない。今日から7人のオタクになりました。よろしくお願いします。そんな気持ちだった。隅々まで見ても聞いても良いところしかない。こんなに素敵なMVで、曲でデビューを飾れたこと、本当にうれしくてたまらなかった。その日は1日、どころかずーっと今でもその曲ばかり聴いている。

 

前の事務所の時からは考えられないほどのスピードで再生回数のカウントが回っていく、いろんなランキングで名前を見る、全部夢みたいだった。こんなに幸せなことってあるのかな。好きな人が笑顔になっていくことが死ぬほど嬉しい。たくさん褒められているのも嬉しい。世界中にドヤ顔してまわりたい。わたしの好きな人はこんなにかっこいい。インスタライブでも、デビュー日のTikTokライブでも、ずっとオタクを大切にしてくれる。デビュー曲にも、たくさんオタクに向けた歌詞がある。本当に嬉しい。7人のファンでよかった、と心から思える。

 

7人のことを待つことができて良かった。

やっぱり世の中の風当たりは厳しい。できるだけ目を背けて、やわらかい言葉の中で生きていてほしいと思う。今の世の中の言葉は、8割くらい、あなたたちには関係ないことだ。

でも、今は世の中のことなんてどうでもいいくらい、7人のファンで幸せだし、7人のことが大好きだ。これからもそうでいたい。7人に好きだよ、と伝えていきたい。自分の名前なんか覚えてくれなくていい、ただ、「好きだよ」と言ってくれるモブNがいることで、少しは明るくなる気持ちがあればいいなと思っているだけ。

 

走馬灯

5月26日から、ずっと、うまく息ができない。
なんとかうまく以前のように生活を送ることは出来ている、はず。だけど、ずっと空っぽだ。
毎日毎日、彼が、今すぐ目の前に現れたらいいのになあと思いながら生きている。

5月26日がくるまで、わたしはずっと平気なんだと思っていた。推しのグループが事務所を辞めたところで、彼らが彼らで居続けることに変わりはないから、彼らさえ変わらなければずっと好きでいられると思うし、不安なんてない、ただ肩書きが変わるだけだ!と本気で思っていた。

わたしは新規だから、彼が今まで培ってきたものを何も知らない。血の滲むような努力とか、初めての単独公演のセトリとか、「ずっと事務所に居続ける」とメンバーが言ったあの夏の日の温度とか。だから、悲しむ材料がなかった。悲しむ権利もないと思っていたし、思っている。

 

 



5月23日、最初で最後の推しのグループを現実で見た日。この日を忘れたくない。

7人は、7人で完成する芸術作品なんだと思った。一糸乱れぬダンス、安定した歌声、纏う華、今までずっと幾度となく練られてきたであろう最適なフォーメーション。全てが完璧だった。
そして、推しが、自分のオタクを見つめるときの、愛おしそうなまなざし。今まで見てきたなによりも綺麗で、美しくて、こんなに人は綺麗な表情ができるのか、と熱に浮かされた頭で思った。推しのことが、推しのグループのことが、世界で1番大好きなんだと思った。これからもずっと大好きでいられるし、大好きでいたいと真剣に思った。この気持ちは嘘じゃない。嘘にしたくない。推しが、ファンを幸せにしたいと言ってくれたから、これからも思う存分幸せにしてもらおうと思った。

 

 

 

この気持ちが呪いになっている。

 

 

 

嫌いになりたくない。ずっと好きでいたい。推しを、推しのグループの7人を待ちたい、おかえりって言いたい、だから、他に好きな人を作れない。
好きな人なんかいなくても別に生きていける人間だったらよかった。わたしは誰かのファンじゃないと生きていけない人間だった。誰かのファンをしていること、を軸に、なんとかバラバラになった身体を繋ぎ止めて、普通の顔をして生きていただけだった。それに初めて気づいて、絶望の1ヶ月を送った。

 

 

視界が暗い。上手く話せない。ご飯が美味しくない。食欲がない。部屋が片付けられない。ベッドから起き上がれない。もう終わりにしてくれと思いながら夜を明かす。こういうことは、今までにも何度もあった。何度も何度も何度も何度も何度も。でも、その度に、好きな人の声を聞いたり、好きな人が生きているのを見て、なんとか、なんとか持ち直して、この人が生きている世界が終わるまで生きようと思って、延命してきた。なのに、今はその人がいない。完全にいなくなった訳じゃないってわかってるけど、それでも、どれだけ苦しくても、「ここまで耐えたらご褒美があるから」がんばろう、とは、なれない環境になってしまった。日々の苦しみのリセット地点を失ったせいで、ずっと苦しみゲージが溜まり続けている。それが、しにたくなるほど苦しい。わたしは、わたし1人で、どん底から這い上がる方法がわからない。これは誰も悪くない、わたしだけが悪いのだけど。


 

 

不健全な気持ちでごめん、と毎晩思っている。
わたしは、彼を推しているんじゃない、彼に依存してるだけで、彼じゃなくても依存できるならきっとなんでもいい。実際今までいろんな人に依存してきた。
わたしはオタクとして推しがいないことを悲しんでいるんじゃない。精神が脆弱な人間として、不安定になっているだけだ。

 

 

 

ファンレターにはずっと大好きです!って書けなかった。ずっと好きでいる、なんてわたしができないことわかっていたから、嘘をつきたくなかった。でも今だけは世界でいちばん大好きな人です。世界でいちばん大好きな人がいないわたしの世界は、こんなにも悲しくて、救いがない。
世界でいちばん大好きな人がくれていたのは、夢で、まやかしで、「幸せ」という名前のインスタのフィルターで、それが解けた瞬間、わたしの目の前には苦しみしかない現実だけが横たわっていた。毎日毎日ずっと、最悪な気持ちに晒され続けている。
彼らがそのうちわたしの目の前にまた現れてくれて、会いたかったよ!と言ってくれる、その日のためだけに、なんとか首を吊らずに生きている。

 

 

 

はやく大丈夫になりたい。


彼らが戻ってくることだけを信じて生きていられるほど普通の人になりたい。
今のわたしは、きっと、生き延びることくらいはできる。死ぬ勇気とかないし。そんなのあればとっくの昔に実行してる。
だから、他の人からすれば、普通の人なんだろうなあ、といつも思う。
生きることと生き延びることはこんなにも違うのに。

 

 

 

 

卒業が発表された次の日に、最初で最後のファンレターを書いた。

11月から、彼の主演舞台を観た後からずっと書こうと思って、ルーズリーフ裏表10枚分は下書きを書いた。でも、全部ぐちゃぐちゃにして捨てて、便箋3枚半に、思っていることを書き殴って、読み返す間も無く封をして、送った。
「あなたが未来永劫幸せでありますように」と書いた記憶だけがある。これは本心。推しには、世界で1番、わたしより、幸せであって欲しい。推しのこれから歩く道を全て舗装して真っ平らにして、絶対にこけて怪我をすることがないようにしたい。

そしてきっとわたしは、彼が舗装された綺麗な道を歩んでいるところに目を奪われて、足元の石ころに躓いてこけるのだ。