キャンドルタワー

大好きだったひいばあちゃんが急に死んだ。

急と言っても、数年前から病気で入院したり、施設に入ったりを繰り返していて、わたし自身5年くらい会っていなかった。

 

久しぶりに見たひいばあちゃんは死体だった。

 

前日夜に施設から祖母に電話がかかってきて、「あまり様子が良くないのですが、特に目立った症状はありません。どうしますか」と言われ、結局次の日の朝救急車を呼ぼうという話だった。

朝の5時半、ひいばあちゃんは死んだ。

 

悲しかった。大好きだったから。

わたしは小さい時から母親とも祖母とも上手くいかなかった。意見が合わないのに、わたしが2人の言いなりにならなければ、思い通りに動かなければ、ご飯は与えられなかった、風呂の栓を抜かれた、出て行け、お前はうちの子じゃないと怒鳴られた。別にこの程度どの家にもあるとは思うけど、当時のわたしからしたらどこに逃げていいかもわからなかった。

そんな時、近くにひとりで住んでいたひいばあちゃんの家に逃げては、泣きながら話を聞いてもらって、ひいばあちゃんのぶよぶよのおっぱいに包まれて、2人で作ったきなこもちを食べた。冬は謎のストーブの上で焼いた焼き芋も食べた。ひいばあちゃんの家が新しくなった時は泊まりに行った。ダイニングテーブルから朝日が差し込んで、きれいだった。ひいばあちゃんのごはんは美味しかった。

わたしが中学生になって本格的に精神を病んだと同時に、ひいばあちゃんもうつ病になった。膝が悪くなって、趣味だった園芸も水泳も上手く出来なくなって、人とも会えなくなったのが辛かったらしい。

その頃にはわたしは実家を出ていたから、なんにも知らなかった。祖母から口酸っぱく「あんたはうつ病なんかにならないでね」と言われていたが、その時には既に腕も内臓もズタボロのメンヘラだったので、何言ってんだこいつは、と思っていた。ひいばあちゃんは睡眠薬ODをしたらしい。わたしはブロンODをしていた。その時期に電話越しに聞いた「ばあちゃん、もう死ぬかもしれんわ」というひいばあちゃんの弱々しい声が未だに脳裏にこびりついている。わたしはひいばあちゃんには何もできなかった。

 

ひいばあちゃんはかわいそうなひとだった。

葬式の時、スライドショーでひいばあちゃんが笑顔の写真が写っていた。葬式が終わってから、祖母に「あの写真、切り取ってもらったけど、下にはあんたがおったんよ。」と言われた。家に帰って写真を見ると、満面の笑みのひいばあちゃんの前に、4歳くらいのわたしが笑顔で写っていた。人に恵まれなかったひいばあちゃんが、せめてわたしが一緒にいた時くらいは、笑顔でいてくれたからよかったと思った。わたしが実家に残っていたら、なにか未来が変わっていたのかも。でももう死んだからどうしようもないです。

 

葬式のあとに、わたしの好きなグループのYouTubeを見た。メンバーがそれぞれ手紙を書いて、読んで、みんなで泣いて、最後は抱きしめ合っていた。こんな日じゃなかったらわたしだって泣いていた。でも今は嫉妬でどうにかなりそうだった。わたしは、今日、人前で泣くのをこんなに我慢していたのに。みんながひいばあちゃんが死んでほっとした顔をしている。病院代や施設代がかからなくなってよかったという顔。わたしはこんなに好きだったのに。でももう母親や祖母には自分の気持ちを開示できるほどの信用はない。だからひとりでひっそり泣いたのに、いい大人が、こんなにも信用できる人間がいて、よかったよね、生きるの楽でしょ?顔が良くて、友だちにも恵まれて、この歳でも夢を諦めず追いかけることを応援してくれる人がいて、まっすぐ育って、よかったね?本当に羨ましい。わたしにもひいばあちゃんにもそんなのひとつもなかったのに。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。

 

ひいばあちゃんの死体を見るのは怖かった。でも灰になったひいばあちゃんを見てもなんとも思わなかった。わたしもはやく灰になりたい。死体なんて残らなければいいのに。